思春期という大きな波を頭からざんぶりとかぶり、出口のないトンネルの中にいるような気持ちになった日もありましたが、先日無事に長男が高校を卒業しました。
保護者代表で謝辞を読んできました。落ち着いた声で年配の女子アナ風に読むつもりだったのに、なんだかいろんなことを思い出してしまって、結局涙と鼻水をマスクに染み込ませながら読むことになってしまいました。
そうだった、忘れてたけどわたしこういうのすぐ泣くんだった。

コーデは末広の付下げ(室町京正)、袋帯(紫紘)、帯揚げと草履(和小物さくら)、三分紐(藤岡組紐店)、末広(大西常商店)、バッグ(月之)、ベッ甲の帯留め(母のものをイソガイで修理してもらいました)


謝辞の一部をこちらに。
思い返せば、小学校のときの校長先生は「片手は親が、もう片手は学校がしっかり手をつないで、両側から子どもたちを支えて歩いて行くのが学校というものです」と笑顔でおっしゃいました。小学校、中学校とこれまで何人もの先生とリレーのごとく手をつないで歩いて参りましたが、最後の手をつないでくださった高校の先生方のあたたかさ、器の大きさに、何度救われたか知れません。わたしが気づかずにいた子どものいいところを見つけ出しては褒めてくれ、親としての自信を失ってしまうような日は、穏やかに励ましてくださいました。
かつて、ある先生と面談をした後のことです。「問題ごとばかりで、先生嫌になりませんか。子どもたちを見ていると、つくづく教師にならなくてよかったと思ってしまうんですよ」とわたしが言うと、その先生は目を大きく見開いて言いました。
「何を言ってるんですかお母さん。子どもが問題を乗り越えたときの輝きは、何ものにも代えがたい、素晴らしい瞬間なんですよ。ああ教師になってよかったと心から思うんですよ」
教師という職業の人たちは、自分が産んだ子でもないのに、生徒の人生を心から案じ、手を差し伸べて明るい方へと導き、未来を信じて熱く励まし続ける稀有な存在です。
生徒の皆さんは、こういう先生方のそばで過ごせていたことを、どうか忘れないでください。
卒業生の皆さん、
今日はたくさんの「おめでとう」が飛び交う日です。これから先も、いろんな節目でおめでとうと言われる日があるかと思いますが、
ぜひ皆さんには「おめでとう」と言われる前に「ありがとう」が言える人になってほしい。ありがとうを先に言えることの価値に気づいてほしいと思います。
今日は3月11日、東日本大震災があった日ですね。あの日に起きた出来事も、今ウクライナで起こっている出来事も、それがもし自分だったら、と想像することは大事なことです。試練や困難は必ず訪れます。
支援する側と支援される側、教える側と教わる側、勤める側と雇う側など、反対側から見える景色は違います。自らの立ち位置の反対側を想像して、何をすべきか冷静に考えられる大人になってください。
五年後十年後の自分は、今一瞬一瞬の積み重ねです。日々を丁寧に大切に。人生に無駄なことなどひとつもありません。挫折や失敗も、未来につながる糧と信じ、つながりゆく縁を大切にして、輝く未来を自らたくましく作り上げてほしいと願っています。
令和四年三月十一日
保護者代表 菊池衣麻