我が家の昔話法廷。
雨水を外に逃がすための穴に、息子たちが土を詰め込んで床下浸水になった件、このたび娘が「あのとき土を入れたのは兄たちだが、枝や小石や枯葉を入れたのはわたし」と8年前のことを白状。「穴の奥に住んでいる小人が使うかなと思った」というのが理由。
判決、時効につき無罪。
我が家の昔話法廷。
雨水を外に逃がすための穴に、息子たちが土を詰め込んで床下浸水になった件、このたび娘が「あのとき土を入れたのは兄たちだが、枝や小石や枯葉を入れたのはわたし」と8年前のことを白状。「穴の奥に住んでいる小人が使うかなと思った」というのが理由。
判決、時効につき無罪。
娘がGUをわざと「グ」と呼んで遊ぶので、「GUやGUや汝を如何せん」とつぶやいたら、それなぁに?と聞かれて、四面楚歌から虞美人草伝説まで一通り話すことに。小さな買い物の帰り道、車窓には薄暮。
「お母さんが高校生の頃は、放課後に薄暮講習っていう勉強会があってね」「へぇ、ハクボって響きがいいね」と言いながら、わたしのスマホで空を撮る娘。
ラベンダー色のGUの服と四面楚歌と虞美人草がワンセットになる娘の人生、ちょっといいなと思いました。
先生の異動が新聞で発表になり、懐かしい名前を見つけました。担任してもらったわけでもない、ただ中2のときだけ数学を教えていただいた沢山の中の1人でしかないんですが、ご退職とのことで、この機会を失ったらもうチャンスはないと思い、どうしてもお礼が言いたくて手紙を投函しました。ご自宅の住所などわかりませんので、今お勤めの中学校に。投函してから、同姓同名だったらどうしようと青くなっています。
わたしはマンモス校のぎゅうぎゅう詰めの教室の中にいた、数学が嫌いな中2の女子の中のひとりでしかありません。担任でもなく顧問でもないし、先生はわたしのことを思い出せないと思います。でもわたしはずっと、お菓子作りなどの料理や縫い物をするとき、比の計算をするたびに感謝していました。先生のあだ名はマイケル。マイケルの数学は面白かった!ありがとう先生!
本麻長襦袢「彩加」10周年記念に、数量限定でリバーシブルの西陣織半幅帯を作りました。片面は「窓辺」。旅人気分になりながら、人々の幸せを祈る気持ちで描きました。もう片面は黒地にさりげない銀糸で「麻の葉の雲」を織り出してもらっています。変わり結びしやすい440cm。締めやすい西陣織です。
「窓辺×麻の葉雲」の半幅帯は、4月1日正午に発売を開始します!
お問い合わせは、全国17店舗ある、きくちいまオリジナル製作委員会のお店へ。
もうひとつ告知!出来たてほやほやの半幅帯を見せびらかし(!)に、3月30日(火)20:30からの「藤工房Youtubeライブ」に出演させていただくことになりました。お楽しみに〜
利休忌というお茶会をしました。
13歳になった娘は、とうとうわたしのきものが着られるようになりました。染の北川の小紋……「買ってはいけない着物と着物まわり」の出版記念パーティーのときに初めて袖を通したものです。
実は長羽織に仕立て直そうかと思ったのですが、藤工房の加藤さんに「娘さんが着るかもしれないから、とりあえず今は仕立てない方が」と言われて思いとどまったのでした。加藤さんのあのときのアドバイスのおかげで、娘も大喜びです。
「きもので一泊してみませんか?」という内容のコラムを、京都きもの市場さんのHP「きものと」に書きました。
わたしの一泊のときの裏技は、たかはしきもの工房の「枕ひも」に翌日の着替えを入れることです。左右組み合わせた足袋の中に和ブラとショーツを入れ、手ぬぐいで形を整えて枕ひもに入れるだけ。着替えではなく、コーデ変更のための帯締めや帯揚げを入れるのもアリかな。
今回のテーマについてのclubhouseは3月25日(木)14:00〜15:00です。お時間ある方はぜひご参加ください!
文旦の皮を煮たものを真ん中にのせて、初めて桜の形の「摺り琥珀」を作りました。琥珀糖よりもむっちりした歯触りです。練りが足りなかった感じで、琥珀糖と摺り琥珀の間、という感じになりましたが、今日のお茶のお稽古にちょうどいい、柑橘の香り漂う春のお菓子になりました。
不思議なことに、毎年この時期に「美しいお菓子」を作りたくなるようです。長かった冬を越えて、なにか焦りのような、追い立てられるような気持ちを、お菓子作りで消化(昇華というほどのものでもないな)している感じ。
昨日は落ち着いて考えたい事柄があって、黙々と作業をしていました。文旦の皮を何度も煮こぼしてから水に半日さらし、グラニュー糖でくつくつと煮てからオーブンで焼いて、細かく切ったもの(花芯部分)を用意してからの琥珀作り。寒天とグラニュー糖を煮てから練って、冷やし固めて型抜いて並べて乾燥。
結局答えは簡単に出ないんですけどね。でもだいぶモヤモヤは晴れました。履歴書の趣味の欄に「お菓子(琥珀糖)作り」と書けるかも。ちなみに特技は「家の中に入ってきた蝙蝠を虫取り網で捕獲すること」です。調子がいいと1振りで捕らえます。捕獲した後は、そっと外に逃します。
毎回恒例、全日本剣道選手権大会の決勝は正座で。「お母さんはどっち?わたしは赤」「僕も赤」「じゃあお母さんは白」
負けた方が文旦を剥くことになってまして……さぁ剥きますかね。
ボランティアって難しい。よかれと思って、とか、裏目に出る、というのがあると知ったのは、東松島に住んでいるおばさんとおばあさんから話を聞いたときだった。
わたし自身は幸田文の「きもの」を読んでいたから、被災した人に古いものをあげるのはNGと知っていたけれど、実際には古着や古い毛布がたくさん送られてきて、結局はゴミとして山積みになったり、支援物資と思ってあけたら段ボールには千羽鶴だけが入っていたりしたんだそうだ。臭う古い毛布を送って、「こっちは片付いたし、あっちは助かったしWINWINだ」なんてのは、本当にひとりよがり。
ボランティア部隊が、ある郷土料理をふるまって、それを出された高齢のおばあさんは悲しくなって泣き崩れてしまった。食べ慣れていないものを出されて、食べろ食べろと言われるのが辛かったらしい。大阪で納豆とか、海外で刺身とか、例えが乏しくて申し訳ないけど、よかれと思って、が裏目に出ることもあるんだよな。
本当のボランティアって何だろう。考えさせられます。あのとき、えーい!と思い切って出した募金が、きっとどこかで役に立っていると信じながらも、また模索の日々です。
10年前、ある新聞社から「被災地にがんばれというメッセージを」と頼まれて、もう十分がんばっている人たちにこれ以上がんばれと言えない、と書いたことがありました。あれから10年経ちましたが、また新たに心から悼み、心から励まし、できることを探る日々を積み重ねていきます。黙祷。