「ハレルヤと私」
まさか私が不登校になるとは思わなかった。
そんな私が唯一「学校に行かなきゃ」と思ったのは、文化祭恒例行事のハレルヤの合唱がきっかけだった。コロナ禍で合唱を禁止されていたこともあり、やっと憧れのハレルヤが歌える、と楽しみにしていたのだ。ハレルヤは葉山中の自慢の伝統で、先輩たちが作ってきた「合唱の葉山」の代表的存在だ。歌が大好きな私にとって、ソプラノで思いきり歌える時間は何よりも楽しいのだ。
「菜那ちゃんがいると、三人分のソプラノになる」と友達に言われるのも「的確な音程で、安定感がある」と音楽の先生に褒められるのも嬉しかった。私は歌うのがそれはもう好きなのだ。特にハレルヤのソプラノパートは、出しにくい高音と複雑な音の調和が組み合わされていて、歌い終えたときは、天にも昇るような高揚感に包まれる。もう一度歌いたいと思える。その繰り返しだ。
それでも学校に足が向かない日ばかりが続いた。歌いたいのに。ハモりたいのに。
そんな私を見て、母は二泊三日の出張中にアルトパートを覚えて帰ってきた。
「お母さんアルト覚えたんだけど、一緒に歌わない?」
は?なんで?何のために?私は驚きが隠せなかったが、母は私に前を向いて欲しかったのかもしれない。
それから主に車の中で、動画サイトのピアノ伴奏を流して、母娘で歌うことが増えた。音が重なる快感が蘇る。やっぱりみんなと一緒に歌いたい。
私は自分の意志で学校へ行き、みんなと歌った。ハレルヤの練習の成果を発揮する文化祭で、一つ上の兄や仲の良かった先輩達を見送る卒業式で、新しい葉山中生を迎え入れる入学式で。堂々と。朗々と。高揚感が私を満たした。
今もたまに車で母と歌っている。
ハレルヤが歌えるなら、ハレルヤが歌える全世界の人たちと繋がることができると思うようになった。なぜなら、他の国の言葉を話すことができなくても、心を通わせることができるからだ。これは世界共通の言語のようなものだ。
これからもし躓くことがあっても、私には合唱が、ハレルヤが、道の先で何度でも手を差し伸べてくれると思う。
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夏休みにわたしのパソコンを使って下書きをしていたものから拾いました(娘の許可はもらってあります)。
2年前の高松出張の帰り道、キラキラ光る瀬戸内海の夕陽とハレルヤの楽譜とを交互に見ながら、イヤホンでハレルヤのアルトパートを聞き、必死で歌を覚えておりました。そのときわたしにできることは、それしかなかったんです。
ハレルヤの練習風景を見たことがあります。合唱指導で有名な地元のおじさん先生が、子どもたちに向かって「ハレルヤ、ハレルヤってただ歌うんじゃないの。どんどん大きく盛り上げていくの。途中で諦めて声量を下げちゃったら、ひゅーん、君たちの成績とおんなじ(ここで子どもたち大爆笑)。いいですか、コロッケ!コロッケ!ハンバーグー!!!ハンバーグ、ハンバーグ、ステーキーー!!!って感じでね!」子どもたちはドッカンドッカン笑ってて、指導前と指導後では全くレベルが違っていました。いいなぁ。いつか君たちが大人になったとき、ハレルヤを聞くたび、思い出が味方してくれるんだよ。
娘の卒業式、最後のハレルヤでした。アルトパートは一応まだ歌えますが、感無量になっちゃって、マスクに涙を染み込ませてきました。
支えてくれた先生方、味方してくれたママ友たち、本当にありがとうございます。